おはようございます。タカハシイツロー(@takahashi126)です。
辞めるつもりだった開発ワーカーを続けているワケは3つありますというお話を前回書きました。
その3つとは
- 主夫では役に立たないのが決定的に明らかになったから
- 縁があったから
- やっぱり開発ワーカーが好きだったから
今回はまずその一つめ。
1. 主夫では役に立たないのが決定的に明らかになったから
これはそのまま読んで字の通りです。笑
2011年1月から丸2年間主夫をしました。場所はタンザニアの首都ダルエスサラーム。
高校生の時から主夫をしたいと思っていた僕は妻が妊娠をしてから妻と一緒に出産前のいろんな講座に出席して主夫になって子育てをする準備を始めました。
出産準備や産後の子育ての講座に出るとあまり旦那さんは来ていません(少なくとも2009年はいませんでした)。それでも当時僕は父になること、夫になること、主夫になること、子育てをすることに喜びと興奮を感じていました。ずっと見ていた夢が叶うという喜びと興奮だったと思います。
妻が長男を出産してからの1ヶ月はどちらの実家に身を寄せることもなく、当時二人で住んでいた東京のアパートで子育てを開始しました。今思うとこの時に頑張りすぎた感はありますが、毎日20時とか21時に仕事から帰って来て、夕食を作り、子どもを風呂に入れ、その日に汚れた布おむつを洗い、犬の散歩をして、翌日の朝食の準備をするという毎日が1ヶ月ほど続きました。
流石に週末は妻の栄養状態を気にしてか実家の母が煮物などのご飯のおかずを持ってアパートに来てくれました。
どうにか妻の産後2ヶ月を乗り越え妻が職場復帰をした頃、我が家はタンザニアへの引越し準備を進めました。引越しは妻が仕事復帰してから1ヶ月後。3ヶ月で首が据わったかどうかという状態の息子を連れてタンザニア引っ越すことには多少の不安がありましたが、それでもまだこの頃は喜びと興奮の毎日でした。
子育てを経験した方には痛いほどわかると思いますが、離乳食が始まる前の赤ちゃんはとにかく可愛くて大して手もかからないしもう天使そのものです。その時はそうは思えないかもしれませんが、多くの場合振り返るとそう思えるものだと僕は思います。だって、ホント離乳食が始まる前は幸せて主夫の喜びを噛み締めていましたから。笑
状況が変わったのは8ヶ月から9ヶ月頃、離乳食が始まってからです。
料理がほとんどできないくせに、基本的には無添加で子どもには特に天然素材で美味しいご飯を食べさせたいと思っていた僕と妻は瓶詰めやパック詰めの離乳食レトルトやペーストは一切使うことはありませんでした。
でも、スーパーや市場に行ってもその日にある野菜は明日あるとも限らず、離乳食レシピを散々見て献立を決めた後の買い出しで食材がみつからにことの多買ったタンザニアでは離乳食作りはとにかく骨の折れる仕事でした。
子どもが食べる量もムラがあり、泣く泣く捨てる料理があると虚しくて悲しくて虚無感に苛まれるんですよね。そこから本当の主夫生活が始まったのに、それ以降の僕は主夫によるストレスを感じるようになりました。
- 自分の時間がない
- 子どもがご飯を食べてくれない
- 自分が成長している、何かを成し遂げているという達成感がない
- ゆっくり寝ていられない
- 色々なものに振り回されている感じをストレスに感じてしまう
それでも、そんな幸せ感があっても、僕には主夫を全うするだけの力がなかったんだとつくづく思います。そして、僕の主夫としてパフォーマンスが良くなかったから、妻は継続できる開発ワーカーの仕事をせずに主婦になることを選んだのです。
当時の僕はホント育児ノイローゼといわれるような状況だったと思います。
これは妻にも言っていませんが、ある時期はとにかく精神的に辛くて、自分で息を止めているときに心臓に止まって欲しいと思った時期もあったくらいです。なんかとにかくその状況から逃れたくて、心臓を自由に止めたいと思うくらいだったんですね。今思うとちょっと怖いです。笑
そんな状況だったので僕は実感しました。
僕は決定的に主夫としては役に立たない、と。
とはいえ、だからと言って仕事が簡単にできるわけではありません。仕事をするには縁がやっぱり必要です。特に2年間主夫をしていた僕にとっては。
続きはまた次回。
- 匿名でのご質問などはこちらから
- タカハシイツローのプロフィール
- ポッドキャストFairly.fm の番組購読・登録(無料)をするとエピソード更新時に自動でダウンロードされます。登録はiTunes またはお使いのポッドキャストアプリからどうぞ。
この記事へのコメントはありません。