NPO/NGO

自分にブレーキをかけずに、解き放て

これという正解は未だにわかっていない。それが国際協力。

やり方、戦略、対象、財源、それが何であれ、批判をし始めたらキリがないのが国際協力だと思う。有名な経済学者、立派で著名な大の大人が言い合うくらいだから(例えばWilliam EasterlyとJeffery Sachsとか)。
何が上手くいくのか、何が正しいのかわからないからRCTに代表されるインパクト評価手法が開発事業にも適用されて、J-PALがここ何年も注目を集めてるわけだから。
途上国開発問題に万能薬がないと言われるのは、HIVの治療薬がないことに例えられるかもしれない。しかし、治療薬がなくとも適切なARVが処方できれば、AIDSの発症を抑えることができるように、特定地域の特定開発課題への適切な対処は創意と工夫と努力で出来なくはないというのも事実ではないかと思う。
だからこそやり方に問題があると指摘されるんだけど、僕なんかが開発事業に関わる限り、外部者なわけで、開発援助批判ではいわゆる貧困貴族と言われる立場でもあるわけだ。
要するに、開発事業で飯を喰ってる貧困や途上国がなくなれば仕事がなくなるわけだ。
自分自身も変わる。まずは自分を解き放て。
まだ学生だった頃、あるべき開発協力、国際協力を体現して変えていくことが自分のライフワークだと信じて目の前の全てを疑ってより良いものを探求しようとしていた僕も、給与額と待遇を気にして仕事を選ぶ開発ワーカー。でも、簡単にしようがないでは片付けたくない。やっぱり情熱を持って仕事をしたい。やれることをやれる範囲でやり続ける気概がなくなったらそこでおしまいかな。
そう思ってる人も多い。同時に全てを包含する現実の圧力も強い。
問題意識や目指すところは少し違っても、それでもやっぱり国際協力、開発協力に携わることで、世界や社会、政治や経済への関わり方はいい方向に変わっていくと感じている。もしかしたら、明日言うことは変わってるかもしれない。それでもいいじゃないw

それくらいの気楽さでいいじゃない。まずは自分を解き放て。

気持ちがあれば、まずはどうにかなる

国際協力、開発協力は最近で言う社会企業やソーシャルビジネスの延長であり先駆けなわけですよ。自分たちの生活するこの社会を良くしたいという欲求が住んでる町や地域から、住んでいる環境と世界に放たれていったようなもんですよ。解き放たれた強い気持ちがあれば、まずはどうにかなりますって。英語が出来なくても、海外に行ったことなくっても、親が反対しても、生活が不安でも。
 



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