開発協力・国際協力

いろいろ考えどう生きるか模索した時期の話

おはようございます。タカハシイツロー(@takahashi126)です。

 

開発ワーカーに固執しなくてもやりたいことをやりたいようにやればいいやという前回のお話はこちら

僕が大学生だったのは1994年4月から1998年3月。当時日本はODAトップドナー

開発協力の世界ではUNDPの人間開発報告書が出されるようになり、それまで環境破壊や現地のニーズにあっていないとも言われたいわゆる「箱物」案件というインフラや施設開発事業が批判されていたと記憶しています。

 

開発協力を仕事にする

世界銀行の構造調整プログラムが諸悪の根源とされるような書籍も多く、援助貴族は貧困に巣食うなど援助や開発協力そのものへの批判が引きずっていた時代です。

そんな書籍を読み漁りながらも、他にやりたいことが見つからなかった学生の僕は社会の役に立つことで海外でできる仕事である開発ワーカーの仕事にだんだんと惹かれるようになりました。

そして、自ずと1990年代当時日本でも活発になっていたNGOに興味をもちはじめ、90年代終わりに多くの人がそうであったようにロバート・チェンバースのPutting the Last Firstなどに興奮し、惹かれていったのを覚えています。

その頃興奮して追いかけていたメーリングリストで活躍されていたのが、僕が配信するソーシャルポッドキャストFairly.fmにもご出演頂いた野田直人さん(エピソード61 変化を起こし仕事へのプロ意識)や白鳥清志さんエピソード57 答えは転がっているわけじゃない、自分で探すもの)です。

ザンビアでプロジェクトに携わる前まで、仕事としてはNGOの仕事、在外公館での仕事、JICAでの仕事といろいろ経験し、南アジアや英語圏アフリカの国々に出張してなんか頭でっかちになっていたんでしょうね。

経験を積むことで何かわかった気になってしまうというのは程度の差はあれ誰もが経験することだと思います。そして、経験を積めば積むほど、いろんな壁に直面してキャリアについて考えることも増えると思います。

でも、 野田直人さんや白鳥清志さんなどの大先輩の話を聞いてもわかる通り、開発協力・国際協力に携わるいわゆる開発ワーカーの方々は似たような経験を経て似たような考え抱いているんじゃないかと思います。

 

だからこそ今開発協力・国際協力に携わりたいという人も壁にぶつかりながらも好きなようにやりたいようにやればいいんですよ。

成功のためのレールはないし、どこに行って、どんな組織で働いても一長一短あるわけです。

大切なのことは、得た経験を共有し自分なりのバランス感覚を養うことでしょうか。

 

辞めるつもりだった開発ワーカーを続けているワケ

辞めるつもりだった開発ワーカーを続けるに至ったのは以下の3つのワケがあったからです。

  1. 決定的には主夫では役に立たないのが明らかになったから
  2. 縁があったから
  3. やっぱり開発ワーカーが好きだったから

続きは次回。

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