Review

「死」に触れて考える「生き方」




 

同僚の死
 

つい先日、仕事の同僚が亡くなりました。
 

事故だったのかどうかもわかりません。


つい1週間ほど前まで普通にメールでやり取りしていたのに、突然訃報を受けました。


その方とはここ2年程の間、一緒に事業を立ち上げようとして、頻繁にメールや電話をしていましたが、一度もお会いしたことはありませんでした。近いうちに仕事で来てもらってお会いできるかも、というような状況だったのですが、もうお会いすることも一緒に仕事することもできなくなってしまいました。


仲間の死


以前一緒に働いていた仲間と、20155月の一時帰国の際に久しぶりに再会しました。彼とは2009年頃から東京で一緒に働いて、度々飲みに行く仲でした。

無邪気で気の置けない友人であり、甘えるように相談してきてくれる可愛い後輩でもありました。
 

久しぶりに会った時、家族やご自身に大変なことがあったけど、社会復帰してこれから頑張っていこうと思っているという話を聞きました。ランチだったので、しっかり話を聞くこともできなかったのが大変心残りでした。

そしてその4カ月後の9月頃、突然、亡くなったと人伝に聞きました。
 

職場のパソコン脇に彼の名刺を置いています。


友人の死


今でも毎年2月になると思いだす友人がいます。高校の同級生で、大学卒業後2年で他界した友人です。
 

高校2年のクラスメートとは当時から仲が良く、男女8人くらいで度々会っていました。高校時代は毎月のように会っていた仲間も、高校卒業後はバラバラになりなかなか会う機会がなかったのですが、1998年の1月に久しぶりに会おうということになりました。
 

その日、僕は当時お付き合いしていた彼女との約束を変更できず、高校のクラスメートの集まりに間に合うかどうかわからない状況でした。しかし、その日の午後から大雪が降ったこともありクラスメートの集まりはキャンセルとなりました。
 

その1カ月半後、友人は他界しました。後になって聞いた他のですが、友人には大学を卒業したころに脳腫瘍がみつかり、手術をし、入退院を繰り返していたらしいのです。その後、大分元気になったのもあり、高校のクラスメートの集まりが企画されていたとのことでした。
 

あの時


当時、よく思いました。
 

あの時、彼女とのデートなんかしてなければ、、

あの時、雪が降ったくらいで中止にしなければ、、、


あぁ、あの時、、、

でも、それは後になって言っても考えても仕方がないこと。

その後、人の死に触れるたび、ぼくは高校の友人の死を思い出します。「あの時」を繰り返さないために。

 

死が教えてくれた生き方


ちょっと大げさだし、大げさな割には普通のことなんだけど、

1.人と会うことを最優先にする
 

会えるときに会える人と会う。

ぼくにとってこれはとても重要です。いつか会えなくなるからというより、その時その時の一期一会を大切にするという意味でも。
 

とはいえ、行ってもつまらない飲み会やあつまりというのもがあるのも事実なので、そこは人を選びます。ぼくにとって刺激になり学びになると思える人にはもちろん是が非でも会いますし、大切と思える人にはどうにか都合を調整してでも会いたいと思います。人と会うことは、会って話をする以上に大切なものがあると信じるようになりました。
 

2.したいと思うことをする


理屈や理由をつけて、それをやらざるを得ないと自分を説得するよりも、自分がしたいと思っているからやっているんだといえることをやりたいとういのが本音です。

世の中、生きていくうえでそれだけでは生きていけないかもしれない。でも、やはり、したいと思えることをしていきたい。
 

3.今を、今日を生きる


人生80年とはいうものの、いつどこで何がおこるかわからない。事故に巻き込まれるかもしれないし、健康を損なうこともあるかもしれない。著名な方の言葉にも似たようなものがありますよね、スティーブ・ジョブスとか?

もう、明日死んでもいいと思えるように、今、そして今日を生きるということの大切さをかみしめています。
 

掘り下げればまだまだあるかもしれないけど、この3つを実践できれば、後悔することを極力避けることができるのではないかと思っています。

そして、


4. 恥ずかしくない背中を見せる

 

特に我が子どもたちが見ても恥ずかしくない生き様、誇れる生き様を見せることが、自分の生きがいでもあると感じています。

ひいては、誰に対しても恥ずかしくない生き様を見せられること、恥ずかしくない背中を見せることが大切かと。

でも、それは常識やルールを守るという意味ではなく、自分が正しいと思うことを貫くことであったり、弱者を守る勇気を持つことだったり、そういう意味で恥ずかしくない背中であり生き様というつもりです。

 

オレの背中、とのタイトルは自分へのそんな気持ちを込めてつけたものです。
 

何をしても後にあるのは後悔かもしれない。

でも、友人の死からこの20年の間、ぼくにとってはこれらが生きていくうえで基本原則となっている。


心から故人の冥福を祈ると共に、ともに生きた時間を誇りに思います。そして、これからの生き方を恥じないものにしたいと心に誓います。            

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