おはようございます。126(@takahashi126)です。
ここ4、5年、子育てを通じて身に染みて、本当に骨の髄まで染みて感じたことがあります。
それは、怒ったところで、得られるものは何もない、ということ。
今日はこどもの日に向けて。
全然自慢にならないしむしろ非難を受けることですが、ぼくは子育てでよく大声を出して子どもを怒ってました。
今でも、ついつい怒ってしまうことがあります。
もうこれは言葉の虐待です。
わかっていても、ある段階になると怒ってしまう傾向があります。
我が家の子どもは5歳の男の子と2歳の女の子です。下の子にはそれほどでもありませんが、長男に対しては2、3歳の頃からよく怒鳴ってしまいました。
でも、怒鳴って怒れば怒るほど、悲しくて辛くなるんです。
怒った自分に腹が立ち、悔しくて、悲しくて、子どもに申し訳なくて、ただただ嫌な気分になるんです。
不思議なほどに怒った後は、「怒る原因」と思われる子どもの言動に対する怒りのようなものは残りません。むしろ、なんでこんなことであんなに怒ったんだろう、という自分への疑問が残ります。
子育てで子どもを怒ったところで、何も得るものはないのです。
なんで怒るのか?
それは仕方がなくではなく、怒って自分がスッキリしたいからでしょう。理不尽な気持ちを相手に伝えたいからではなく、怒って自分がスッキリしたいかでしょう。
いうなれば、単に自分の正当性を圧倒的な力で誇示したいというようなところでしょうか。
落ち着いて考えてみると、怒るということはなんと幼稚な態度であり未熟な意思の伝達方法なんでしょう。
もしかしたら、怒ることは、社会的・経済的な立場によっては物事を伝えやすい伝達方法なのかもしれません。
上司が怒って伝える指示。政治家が怒っていうこと。部下やその影響下に入る官僚にとっては、怒りと共に伝えられるメッセージにはその内容以上に何かしらの意味や効果があるのかもしません。
要するに、怒るということは意思の伝達手段として一つのツールなんでしょう。
怒ると伝わるか?
でも、怒ることで意思は伝わるか?
答えはNOだと思います。威力を持って何か伝えようとしても、意思は伝わらないというのがぼくの考えです。
怒るをあらわにすることで、それを受けた人はいい気はしないでしょう。怒る方も得るものはありません。
意思を伝えるのであれば、しっかりと丁寧に伝えるべきです。怒りに任せず、やさしく伝えるべきなんです。
子育てにおいても、怒ることで何かを躾けよう、教えようとしても子どもには伝わらないと感じています。伝わるのは、「お父さん、怒っている」という恐怖だけでしょうか。
最近、怒った後、誰が悪いかどうかは関係なく、息子には怒ったことを謝るようにしています。
だって、怒りたくないから。怒った自分を反省しているし、次こそは怒らないでいたいと思うから。
そして、同時に、怒ること怒りを持って何かを伝えることは、一番良くないコミュニケーションだからやらないようにしたいということを息子に話します。
父も頑張るから、息子にもそれを理解して頑張ってもらいたいという思いから。
それがどれほど意味あることなのかはわからないけど、自分の背中を見せて息子に接したぼくとしては、怒るダメな父とそれをしないように努力する父、両方の父の背中を見てもらいたいと思う日々です。