おはようございます。タカハシイツロー(@takahashi126)です。
もし開発協力・国際協力において「するべきこと・してはならないこと(Dos and Don’ts)」があるとすれば、代表的な「してはならないこと(Don’ts)」がこれだと思います。
貧困を美化すること。
英語でいうとromanticize povertyという感じでしょうか。
(どのような形であれ)貧困国を訪れ、現状を垣間見た後にこういう発言や考えを垣間見ることがあるんですよね。
貧しくても決して不幸じゃない
貧しくても日本が失った豊かさがある
開発という名の下に、今ある幸せを奪っている
んー、ある意味そうかもしれません。
開発協力や国際協力で対象とする人々はもしかしたら与えられた境遇で自分なりに幸せを享受しているかもしれません。
日本は物質的には豊かなんでしょうけど、おもてなしとかリスペクトの国と言われていたとしても、他の国が持っているような豊かさはないのかもしれませんね。
発展することで自然や今ある何かを壊すという意味では、開発事業の全てがいいとは言えないという考えにも一理あるのかもしれません。
でも、そうだとしても、貧困は悪でありなくすべきものです。
何故、貧困が悪か
何故、貧困は悪なのか。それは、人々から自由や選択肢を奪うからです。
ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン教授の代表的な著書の一つにDevelopment as Freedom(Amazon)(無料PDF)というのがあります。もう15年以上前に出た本でインド留学中に喰い入るように読んだ本です。
それが経済インフラでも、教育や保健分野でも、開発事業の何が大切かといえば、それは人々の自由を増やし選択することのできる環境を作ることができるから大切なのです。
エチオピアの貧困状態にある人たちは、日本人が享受しているような多様な選択肢を持っていません。
日本のもっと身近な例で言えば、生活保護を受けている人は平均所得を上回る収入を得ている人ほどの選択肢は持っていません。これは言い換えると自由を持っていないということです。
現在与えられた環境から抜け出て、自分のポテンシャルを試しつつ、何かにチャレンジする自由は経済や社会的状況によって大きく左右されます。
社会資本の喪失?!
豊かさと感じるものの一つに社会資本があるかもしれません。
人と人の繋がり、助け合い、互助的な社会関係。
なんかそんな言葉といわゆる発展途上国の人間関係を重ね合わせる人も少なくないのではないでしょうか。
経済開発が進み、農村から都市に人が移り住み、社会のあり方が経済活動によって変わることで、今まであった社会的なつながりがなくなっていく、、、みたいな。
んー、そうなの?
僕は自分自身で昔の古き良き互助的な社会関係から、他人行儀な都会生活まで経験したわけじゃないけど、そうなの?
それはその本人がどういう生活をしたいか決めて、したいようにすればいいわけで、開発が進むと不幸になるとかあなたが決めることじゃないんじゃないかなぁ、、と思うんです。
チラッと垣間見たときに感じる、自分は持ってないけど彼らが持ってるように思える豊かさはあなたの虚栄心と自己満足が生み出す幻想です。
いや、仮に事実だとしてもあなたにはわからないし、あなたが決めつけることじゃない。
それを言うなら、自分と同じくらいの自由を彼らに分け与えた後で言うべきだと言うのが僕の気持ちです。
だから、僕は少しでもこれから先の社会がより平等(equitable)で、自由を享受できる場となるよう今僕ができうる限りのことをしたい。
異論や反論、批判などもあるでしょうが、こういうことを建設的に議論したいです。(だから大学や大学院はいい環境w)
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