おはようございます。タカハシイツロー(@takahashi126)です。
4ヶ月前にこんなことを書いたんです。仕事であっても、信条の理由からユナイテッド航空の利用を断るのは、受け入れられるのか?(2017年7月6日)って。
僕にとっては信条というのはとても大切なものだと思っています。これといった宗教を信じているわけではないので、自分が正しいと思うこと、こうあるべきだと信じることを貫くことは、生き様そのものであると思っています。
子どもにもそうであってもらいたい。
価値観や考え方は多様で、多様性こそ豊かさだと感じる今の社会だからこそ、自分の信じる何かを持つことは大切だと思うから。組織のルールに縛られるのではなく、個人として信じて貫く価値観を持つことという意味でね。
仕事上、その信条を曲げなければならない時、どうするか?正直迷います。
仕事のやり方や進め方なら話は簡単です。自分として可能な限り良かれと思うことをしようと心がけていますから。おかしいと思ったら説明を求め、改善の余地があると思えば代替案を提案し、可能な限り自分として望ましいという方向に進める努力をするべきだと思うから。それが、仕事をする上での信条です。
でも、理由はともかくダメと言われたらどうしましょう。
身内の話なので、詳細は書きませんが、もう心が折れました。
事前の説明はない、根拠も示されない、でも命令には従わなければならない。僕にとっては生き甲斐どころか人生の何よりも大切なことで、一本のメールによる命令で捨てなければならないという僕の心情は簡単に重々承知できるもんじゃないんですよ。
2012年のあの時、震災後日本がホストした国際大会で華々しく活躍した方々が、大きく成長し一つ上の大きな舞台で活躍する姿を目の当たりにできる喜びを感じたかった。
気休めも、慰めもいらない。
選択的夫婦別姓と同じようには扱えないけど、日本は自己の責任で選択する自由のない世界なんですかね。誰かに責任を求めている訳じゃないんだから、限りある人生、僕の命の使い方は僕自身が決めることができるよう生きていきたい。
仕事上、立場上、自分の信条を曲げなければならないなら、しっかりと説明して欲しかったと期待する方が間違いなんでしょうかね。似たような気分の人もいるんでしょうかね。禁止されても行く人、やる人はいるでしょうしね。
僕は、仕事上、立場上、自分の信条を曲げなければならない時に自分の信条を曲げることになりそうです。
ポッキリ折れた感じがします。この失望感、虚無感、喪失感は簡単に重々承知してもらえるもんじゃない。
ま、自分なりに整理して、立ち上がり、一歩前に踏み出すことが必要なんだと思います。
訳がわからなくても、一人でも多くの方に読んでもらえると嬉しいです。
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