おはようございます。126(@takahashi126)です。
サクセスストーリーというのは読んでいて心地よいものですね。
そんなことない?
リオ五輪のサッカー日本代表にオーバーエイジ枠として登録されることが内定した塩谷選手。
日本でJリーグを見ていればJリーグ覇者のレギュラーだけに知られているのかもしれませんが、正直全然知りませんでした。
塩谷選手がどのような経緯で広島に移籍したのか、今に至ったのかが書かれている面白いコラムがあるのでご紹介ます。
塩谷司、無名の存在からリオ五輪OA招集へ。引き出された潜在能力。元日本代表2人の薫陶(リンク)
「アイツが日本代表に選ばれなければ、お前の指導力がないということだからな」
こんな言葉を投げかけられたのは元広島の森保監督。投げかけたのは柱谷哲二監督(現ガイナーレ鳥取)。
世代としては本田圭佑やアモーレ長友と同じ北京オリンピック世代らしいのですが、世代別代表にも選ばれたことがな買った塩谷選手を代表になれる選手と評価したのが柱谷監督であり森保監督だったようです。
人を見る目、そして育てる力というのは素晴らしいですね。原石を見つけ、磨く。簡単そうで相当難しいのでしょう。未知の領域です。
コンちゃん(今野泰幸選手)をもっとテクニックのある選手にしたイメージかな。サイズもコンちゃんよりあったし、当時からフィジカルも強かったし、1対1の場面におけるディフェンス力も高かった。スピードもあるし、左右両足から正確なフィードも蹴れたので
とは柱谷監督の言葉。プロの世界ですからうまい選手はたくさんいると思いますが、こいつは日本代表レベルの選手!というのはどういうところで感じるんでしょうね。
技術だけでなくメンタルや戦術理解やら、いろいろあるんでしょうが、素人にもわかるように教えて欲しいくらいです。
移籍は開発ワーカーの仕事探しと同じ?
迎えた2012年の夏。移籍ウインドーが開くと同時に、塩谷にとって3度目のターニングポイントが訪れる。清水エスパルス、大宮アルディージャ、そしてサンフレッチェから届いた完全移籍のオファー。愛着深いホーリーホック残留を含めて、塩谷はサッカー人生で最大の決断を迫られた。
完全移籍のオファーをもらって人生最大の決断を迫られたという塩谷選手。
サッカー選手の移籍は転職に似ているのだろうか?
開発ワーカーであるぼくは2、3年に1度職探しをします。A国のXと言う仕事、B国のYと言う仕事など簡単には比べられない仕事を選ぶのです。
選択するにあたっての重要なポイントは
1)タイミング
2)待遇
3)これまでの経験との関係
4)新しい仕事で得られるであろう経験
5)その後の人生設計
6)家族の事情
と言うところでしょうか。
プロサッカー選手もいろんなことを考えるのでしょうが、開発ワーカーの仕事探し(転職と言うわけではないけど)と似たようなところがあるのかなぁ、、、なんて思ったり。
結果としてトップレベルに上り詰めたからには迷いもないでしょう。
リオ五輪で活躍して、日本の最終ラインを背負う選手になって欲しいです。
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