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学歴は足の裏の米粒。生きる力を身につけよう。




おはようございます。126です。

全くもって自慢するつもりは全然ないので、誤解されると嫌なんですが、ぼくは学士を2つ持っています。つまり、大学を2つ出たんです。一つは普通に4年通って経済学を主に学んだことになっています。2つ目の学士は社会福祉を学びました。でも、これは2年間の通信教育です。
 

それに加えて、インドの大学院で修士課程を修了し、いま、イギリスの大学院の修士課程に在籍しています。懲りずに高等教育機関にお金をつぎ込んで、学歴を積み上げました。そんなぼくがハッキリと言えるのは、
 

学歴は足の裏の米粒
 

足の裏に米粒が付いているとどういう感じがします?

なんとなく気持ち悪いですよね。イライラするというか、気分が悪いので取りたくなるじゃないですか。学歴なんてそんなもんだというのがぼくの結論です。

取らなければ取らないでどうにかなるけど、取らないと不快になり、不安にもなる

でも、いま過ごしている生活でこれらの学歴取得時に学んだことがどれだけ生きているかというと、正直な答えはそれほど生かされていない、というところです。むしろ、勉強で学んだ以外のことが生かされているとこの頃感じます。

 

生きる上で何が必要か
 

生きる上で、必要なものってなんでしょう。ぼくが40年生きてきた結果、最近はっきりと見つけた答えは、お金を稼ぐ力だと思います。
 

一流大学を卒業して一流の会社に入る必要なんてない。でも、日々生きていくために、お金を稼ぐ必要はある。自給自足という手段もあるだろうけど、経済活動に関わる上でお金を手に入れる必要はあります。食べるものを自分で作って育てているとしても、他の財やサービスを買うのにお金が必要になります。だから、お金を稼ぐ力が必要です。
 

ただし、お金を稼ぐのは必ずしも会社に勤める必要もありません。会社を経営する必要もない。何かを提供して、その対価をもらう。それをどうやって実現するか、そこでお金を稼ぐ力が試されるんだと思います。
 

でも、学校ではお金を稼ぐ力を身につけさせてはくれませんよ。むしろ、企業戦士、社畜を育成していると言っても過言ではないかもしれませんね。日本ではそれこそフリーランスであることに、安定性のない大変な仕事というイメージが付きまとっている印象がありますが、フリーランスこそ、自分でお金を稼ぐノウハウを生かして生きているという意味で、目指すべき最終地点ではないかと思います。
 

学校に行く意味とは何か


学校に行く意味とはいろいろあると思います。これは簡単に言い切れないでしょう。でも、学校に行く理由は経験上言えます。
 

個人的には以下の3つが学校に行く理由です。
 

1.仲間をつくる

人が生きるとは、他人との共感や共有を通じて、自己実現をしていくことだと思います。人は一人では生きられないとはよく言いますね。誰にでもどのような仲間かは違うとしても、何らかの仲間が必要です。もしかしたら、仲間ではなくライバルかもしれない。目指すものもは全く異なるかもしれない、けれども仲間といえる存在。もしかしたらロールモデルかもしれないし、反面教師かもしれない。でも、そう言った同じ時代を生きる仲間を見つけるのは学校に行く醍醐味だと思う。
 

2.人間関係を学ぶ

子どもを授かって改めて実感したことですが、人間関係を学ぶのに学校という環境はとてもいいところだと思います。うちの子どもが幼稚園に通い始めていろいろな変化がありました。数字やアルファベットを学ぶこと以外に、同級生との遊びや喧嘩を通じて、言動に変化が出るんです。それは、大人だってそうです。立場や環境が変わることで、同じような仕事をしていても、他者との関わり方を学び続けることでしょう。我々にとって学校はいろんな意味で人間関係を学ぶ場になっていると思います。
 

3.自我を育む

自我を育む、とは書いてはみたものの、正直なところ、自我を育むというのはどういうことなのかわかってません!限りなく印象やイメージで書いていますが、自分という一人の人間の生き方を育む場ではないかと思うのです。というのも、仲間との人間関係、対人関係を通じて、自分自身が何かを形成していくのが学校だったという個人的な印象を持っているんです。これは、上記1と2の結果として得るものですが、経験の内省を通じて、自分自身を知り、形成していくことが自我を育むということであれば、学校はそれを促す場でもあると思います。
 

高等教育は必要ない?


義務教育である中学教育まで終えれば、学校に行く必要はないか?生きる力はどこで学ぶことができるか?

これは子どもの成長とともにぼく自身が答えを探したいところですが、生きる力としての金を稼ぐノウハウを身につけていれば高等教育は必ずしも受ける必要はないのではないかと思います。

でも、現実は中学校を卒業した15歳の子が本格的な経済活動を自分でやることは難しいでしょう。だからこそ、高校教育のあり方にはいろいろな考え方があるべきだと思います。その先の大学という高等教育に進むための高校教育は必要でしょうか?
 

今でも思い出す父の言葉があります。
 

高校受験を控えた中学3年の秋頃、父はこう言いました。


みんなが行くからって、高校に行く必要はない


今では父と同じ考えだけど、当時のぼくは高校に行かないなんてありえない!と思ってましたよ。多くの人がそう思うんでしょうね。

 

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