おはようございます。126(@takahashi126)です。
これは文句なく今年2016年に読んだ本で一番面白い!!
ぼくは生物については全くの素人なので本書で書かれていることを受け売りするしか能がありません。でも、形而上や形而下なんて話も出てくるので、文系でも十分楽しめます。
誤解を恐れず一言で言えば、この本はウイルスです!笑 そして生きています!その意味は最後で。
人はどう生きるか
ウイルスは生きている (講談社現代新書)では生きるとは何か、生物とは何かについて考えさせられます。ウイルスは一般的には生き物ではないようです。生物には動物と植物があり、それぞれにはそれぞれの形態なるものあるらしい。その定義やらは本書でわかりやすく書かれているの、生物について無知な人でも苦もなく読めます。
でも、細かいところは放っておきます。むしろ、根源的な問いはあなたは生きることについてどう考えるか?
社畜になりたくない。自由に生きたい。自分らしく生きたい。
いろいろ考え方があるでしょう。でも、人は社会の中で一人だけでは生きられないものです。それは形而上学的な人として。社会的な人間としての話です。
ウイルスは生きている (講談社現代新書)では形而下のヒトとして、ヒトがどう生きているかを教えてくれます。
驚くべき導入
本書は前書きの数ページを読み始めただけで引き込まれます。全くもって想像もつかない話から始まるから。
前書きは出産前、著者の奥様のお腹にいる赤ちゃんの話から始まります。ぼくは二児の父ですが、これは子どもを授かっていてもいなくてもしびれる話だと思います。
胎児を母体の中で育てるという戦略は、哺乳動物の繁栄を導いた進化上の鍵となる重要な変化であったが、それに深く関与するタンパク質が、何とウイルスに由来するものだったというのだ。
は?
2000年のネイチャー誌に発表された論文で、胎盤を形成する「合胞体性栄養膜」という特殊な膜構造の形成に重要な役割を果たすシンシチンというタンパク質が、ヒトのゲノムに潜むウイルスが持つ遺伝子に由来すると発表されたというのです。(一部引用)
ん?
要するにウイルスが哺乳類を生んだ、と。
ウイルスがヒトを生んだ、と。
つまり我々の体の中にはウイルスがいるから、我々は哺乳動物の「ヒト」として存在している。逆に言えば、ウイルスがいなければ、我々はヒトになっていない。少なくとも今と全く同じヒト科ヒトではなかったであろう。(中略)我々はすでにウイルスと一体化しており、ウイルスがいなければ、我々はヒトではない。それでは我々ヒトとは、一体、何者か?動物とウイルスの合いの子、キメラということだろうか?
もう、ここら辺まで読んで言いようのない興奮と好奇心でゾクゾクしましたよ、ぼくは。ここまでで2ページですよ。何なんでしょうこの驚くべき導入は。
また、ここから「では、ウイルスとは一体何か?」という話が始まります。
つかみだけじゃない、誰でも読みやすい中身
この手の本は読み進むにつれて話が難しくなりだんだん理解ができなくなるのが往々にしてあります。興味深いし、面白いけど、、、わからない、というような、。
ウイルスは生きている (講談社現代新書)の
素晴らしいところは本来はわかりづらくて高度なウィルスの話を、誰でもわかりやすいように丁寧に説明されているところです。でも、その丁寧さはダラダラと説明するのではなく、簡潔に図式などを多用して、簡単に理解するように書かれているという意味です。
素晴らしいところは本来はわかりづらくて高度なウィルスの話を、誰でもわかりやすいように丁寧に説明されているところです。でも、その丁寧さはダラダラと説明するのではなく、簡潔に図式などを多用して、簡単に理解するように書かれているという意味です。
大事な著者の結論の意味を知るためには、ウイルスの構造や多様性や特徴などを知ることが不可欠なので、少々難解に思えるウイルスについては読まないわけにはいきません。
興味深いエピソード
今では誰もが知っているインフルエンザ。これはインフルエンザのウイルスが引き起こす風邪症候群です。
でも、昔はこのインフルエンザウイルスはなかったのです。もともとは別の動物のウイルスが人に感染するようになったわけですね。
ここら辺は多少知られていることでしょうか。鳥インフルエンザとか豚インフルエンザとかありますしね。
妻の話では感染症や生物を専攻すると必ず習うのがスペイン風邪。第一次世界大戦の最中、ヨーロッパを中心に猛威を振るったこのスペイン風邪はいわゆるインフルエンザウイルスだったらしいです。そして、昨今、定期的に流行するインフルエンザウイルスは全てこのスペイン風邪のウイルスに起因するものらしいのです。
ウイルスは遺伝情報を持ったいわゆる生き字引のような気さえしてきます。ウイルスを調べれば調べるほど、生命の歴史がわかるというようなそんな興味深いエピソードが本書のあちこちに出てきます。
エピソードからの回想
ところで、本書には他の昆虫に寄生するハチの話が出てきます。生き抜くために獲得した寄生という行動を可能にするウイルスの話です。これも引き込まれる話です。
イモムシに寄生するハチのところで思い出したのが、人に寄生するマンゴーフライ(プチフライ)です。
東南部アフリカでは有名なこのマンゴーフライ。マンゴーに卵を産みつけ、卵はマンゴーの中で孵化することから、マンゴーフライというらしいですが、厄介なことにこれは人にも寄生するんです。
外干ししている洗濯物に卵を産みつけ、どういうわけか卵から孵化した幼虫が体に入るらしいです。怖いですね。
こんな感じ。
これ、2歳の時の息子に寄生したマンゴーフライです、、、この時、息子の腕から出てくる幼虫を見て驚愕しました(写真を撮る余裕はあったのですが)。
ウイルスは生きている (講談社現代新書)を読むと、おそらくこのマンゴーフライも人の皮下で成長するために必要な遺伝情報などは進化の過程でウイルスから得たのではないかと想像してしまいます。機会があれば著者にお伺いしたいです。そして、ちょっと心配にもなっています、、
本書で説明のあるように、確かにこの幼虫が息子の腕から出てきた時、出血などは伴わなかったのです。血も体液も出てこないで、ぽっかりと穴が開いただけ。そうなると、宿主に何かを残しているのでしょうか?
知れば知るほど不思議で興味深いですね、ウイルス。
有効利用
気候変動や環境破壊、ぼくらが生活する地球では目に見えて体感できるほどの様々な変化が起きています。本書でウイルスの話を知ると、変わりゆく環境の中で、ウイルスを有効活用することで様々な偶然的な進化がされてきたと実感します。生命がウイルスを有効利用するのが進化の歴史とでも言い換えられるのかもしません。
ウイルスは単に風邪や病気を起こすだけではなく、生命が遺伝子レベルで何かを後世に引き継ぐための役割も担うケースがあるというから驚きです。冒頭で触れた哺乳類の胎盤でさえ、ウイルスの力を借りたものだとすると、ウイルスとは一体何なんでしょう。
ウイルスを有効利用する遺伝子とは一体何なんでしょう。
そして生命とは、生物とは一体何なんでしょう。
今、こうしている間にもぼくの体の中で、あなたの細胞の中で、ウイルスや遺伝子は何かをしているのでしょうか。
生命とは
生命の本質は、この漸進的に(かつ、おそらく半保存的に)変化・発展していくことにある。変化し、移ろいゆくことが本質であるなら、表面的な姿。形や機能は時とともに変わっていくのが定めである。高度な知性を持つ人類が現れた現在であっても、実は変わりゆく「生命という現象」の一断面を見ているに過ぎない。
これは生命について著者が言っていることですが、なんだか人々の生き方にも言えるような気がしてなりません。
職場環境、家庭環境など様々な環境の中で、個人として居心地のいい環境を維持しつつも、様々な支えを受けて生きるのが社会的な人間である我々ではないでしょうか。
生きる上で必要なアミノ酸などを自ら生成できないヒトについて著者はこう書いています。
ヒトは自己の維持に必要な代謝系の一部を外部環境に依存しており、決して自己完結していない。
ぼくらは社会で生きていく上で、自分の能力や知識を獲得しつつも、他人に依存し支えられながら生きていくという意味では、形而上学的な人は形而下のヒトと似たような関係にあると感じます。
ダーウィン進化で起きていることを単純化して言えば、「試行錯誤を行い、成功体験を蓄積していくサイクルを繰り返す」ということである。この文脈の「試行錯誤」とは、様々な変異を持った子孫を作り出すことであり、その中で環境に適応した性質を持ったものが子孫を多く残す(複製する)ことで、その「成功体験」が結果として蓄積されることになる。そしてそれを受け継ぐものが、さらに変異を持った子孫を作ることにより、その成功をベースとして、更なる発展を起こすことが可能となる。
なんだかもう人生論を説いているようにも聞こ
えてきます。細胞レベル、遺伝子レベルで起きていることは、実は実生活でも同じことが言えるんではないでしょうか。
えてきます。細胞レベル、遺伝子レベルで起きていることは、実は実生活でも同じことが言えるんではないでしょうか。
さて、冒頭で本書はウイルスで生きていると書きましたが、感覚的な理由としてはこの本を読むことで何かが取り付いた感じがするです。おそらく、形而上学的に生きていく上での意味や生活環境への接しかたなど支えになり得る言葉が詰まっているからだと思います。
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