藤圭子については、ぼくは何も知らない。唯一知っていることといえば、宇多田ヒカルのお母さんということと、昔素晴らしい歌手だったらしいということ。
1979年に行われた幻のインタビュー
宇多田ヒカルが一躍トップアーティストになってしばらくして投身自殺をしたことも、ぼくは知らなかったくらい。そんな、藤圭子が引退するときに行われたインタビューが本になっている。
藤圭子について何も知らなかったので、別に買うほどのものでもなかったのかもしれないし、実際妻には「欲しい本があっても図書館で読んでるのに、藤圭子のインタビューをポンっとハードカバーで買うんだ!?」と言われてげんなりしたというか怒りさえも感じたくらい。
でも、みんな、十年も同じことを一心にやていると、風景が見えてくるんだよ。僕の友人や知人たちも、みんなそこで頭をぶつけてやるわけさ。しかし、もう一度、あのスミスさんみたいに、秋雨位の情景は何も気がつきませんでした、という集中を手に入れたいと思って、悪戦苦闘しているんだよ。やっぱり、それは、やり続けることでしか突破できないと思うんだけどな。(流星ひとつ 沢木耕太郎)
フッと辞めることを決断する藤圭子に沢木耕太郎はマラソン選手の例を出して、トップを目指して走り続ける必要性について触れてみる。でも、やり続けることがいいことじゃないということはこの世にはいっぱいあるでしょ。為末大さんの本を読んでもその辺は多くを学ぶところがあると思う。
読んでいないけど、置かれた場所で咲けという本がずいぶん売れているらしいけど、手に取りたくもないですw
譲れない信念がある
流星ひとつを読むと自分の拠り所となる信じる心、信念を持つことが素敵だと感じる。そして潔さ。藤圭子はインタビューの中で、私は嫌だというような言葉を多く発している。その文脈には、他の人はどうか知らないけど、自分はこうするという強い信念と潔さが強く感じられて、ぼくはそこに強く引き込まれた。
あたしは、人を憎みたくもないし、怨みたくもないから、そういう人とは無関係なとこでいきたいんだ(流星ひとつ 沢木耕太郎)
なんだか言葉の端々に、アドラーの個人心理学の考えににたような姿勢も見え隠れして、個人的にはそこも心地よい。
30年以上の間、陽の目を見ることもなくしまわれた本書は、単なるインタビューでなく、今生きる人にも何かしら示唆を与えてくれる。サラリーマン生活に嫌気がさしている人にも何か力を与えてくれるんではなかろうか。(ぼくはサラリーマンしたことないのでわからないけど)
魅力を感じる生き方
簡単に生き方として魅力を感じるところは次の2点。
1. 縛られずにやりたいことを突き詰めてやる
やりたいことに能力があるかはわからないけど、自分でやりたいと思うことは何でもやってみる。そして潔くダメならやめてしまう。そんな簡単そう、あるいは安易そうに思える生き方が実は素敵だと思う。
2. 自分に正直に
自分が嫌なものは嫌。周りが何と言おうと、常識と言われる考えがどう束縛しようと、自分がやりたいことをやりたいようにやることはそれだけで素敵だと思う。
もしかしたら、藤圭子はそうであったが故に精神を病んでしまったのかもしれない。流されるがままに、周りの人と変わらないように不平不満を口にしながら、現状に満足しているのはひとつの幸せの形かもしれない。でも、自分の限界を自分で決めてしまって、自分の能力に蓋をするよりも、いくつになってもチェレンジして試行錯誤して新たな道を探し続けることはひとつの大きな生きる意味だとぼくは信じたい。
そういえば、転職した後、また元の仕事に戻ろうか考えている友人が、別の友人と飲んだ時に言われたらしい。
3年も仕事を続けられない人は信用されない
そんなことはない。それくらいで信用されないなら、信用は入りませんw