おはようございます。タカハシ126(@takahashi126)です。
もう2017年だけど、最近知った #thisis2016 に個人的に衝撃を受けてます。
もう2016年だよ!?
今は21世紀だ。ちょっと前までは21世紀は「未来」というイメージだったけど、どうだろう。ただの「今」だ。
#thisis2016 ではアジア人への差別に関するツイートがたくさんあるということを最近知った。
私も言われたことあるわコレ
【「アジア人にしては目が大きいね」
ふとした瞬間に言われた差別の言葉 https://t.co/COpTI8KWXK】#ThisIs2016 #YesImAsianSoWhat? #UnawarenessRacism— Ray Night (@RayNight1981)
“I guess you’re pretty… for an Asian”
These photo testimonies are for people to understand the casual racism Asians face every day… pic.twitter.com/4CDh5VL1Dq— Nerdy Asians (@NerdyAsians)
日本人にしては肌が黒いし華奢じゃないし全然日本人らしい外見じゃないじゃない、ほんとは日本人じゃないでしょ?(意訳) #thisis2016 https://t.co/mjNhBEBTIA
— Nora (@MNoraO)
“You only got into Bowdoin because you are Asian” #ThisIs2016 Source: Bowdoin Asian Students Associ https://t.co/zROPtDSDtY
— Sociological Cinema (@TheSocyCinema)
これは何もアメリカに限ったことではない。声を上げているのがたまたまアメリカにいるアジア系のアメリカ人だというだけだ。
チーナ!チョッチョリ!
アフリカに住んだり、ちょっとでも旅行したことのある人は経験があるのが、すれ違いざまや遠くからこう言われること。
チョッチョリ!!
チーナ!!
チョンチョン!!
他にも色々言い方はあるだろうけど、要するに中国人を蔑んで呼んでいるわけだ。小さい子供から立派な大人、スーツを着てビシッとしているビジネスマンに至るまで誰でも言う。
が、しかし、「日本人」とわかると急に手のひらを返して尊敬すると言うような言葉を浴びせてくる。
または、「中国人か?韓国人か?日本人か?」とか聞いてくる。日本人と答えるとあまり悪くは言われない。
人によっては「日本人はよく思われている」とあたかも満足げに言う日本人もいる。そういうことか?
個人的な経験としてチョッチョリというようなことはザンビアでもタンザニアでもエチオピアでも言われた。
でも、まあ、それはしっかりと教育を受けることのできなかったアフリカの貧困層にある人たちのことだと思えば仕方がないじゃないかと思う。思うようにしている。
また、別の見方をすると「中国人」と思われて、あるいは言われて嫌だと思うのは、自分自身が中国人を蔑んでいるからじゃないか?ということもできるかも。
そう思うと、なんと言われてもどこ吹く風で受け流すのが大人でコスモポリタンな対応なんだというのが僕の結論だ。
最初の頃は目くじら立てて怒ることもあったけど、そもそもそんな怒ることでもない。
こう言われました
それ以上にため息が出るのは仕事で接する欧米人、国連で働く人がいう言葉。
英語上手だね。日本人?どこで英語習ったの?
これはまず「日本人=英語が下手・話せない」という大前提だあるわけだ。そう思われるのは仕方がないくらい日本人は英語が苦手だろう。
というか、日本人は別に英語が話せなくても生きている国に住んでいるからそれでいいんだ。英語ができないからダメとか関係なく、必要がないだけだ。
それでも僕は英語を話せる方がいいとは思っている。それは英語で言っていることがわかって、英語で自分の気持ちを表現でき、英語で溢れる情報を収集できれば、それだけ世界が広がるからだ。
英語やフランス語が公用語とされている国連機関に働く職員が、英語でコミュニケーションを取れる日本人に出会っただけで、「英語上手だね」というのはあまりにもお粗末だ。
出身がガーナであれインドであれ国連職員は人権などに明るい人であるだろうし、そんな人々が日本人やアジア人を蔑むようなことを日常的に口にすること自体驚きだし悲しい。
言ってみれば国連だってその程度なんだろうけど、そうであれば国際経験のない一般市民の場合、アメリカであれタンザニアであれ、外国人あるいはマイノリティーに対する差別的な言動が出てくるのは理解できてしまう気がするのが悲しい。
それにしても「英語上手だね」は思いっきり上から目線の差別だと言っても過言ではないかもしれない。
日本語上手だね、は差別か?
逆に外国人に対して「日本語上手ですね」はどうだろう。
勝手なことだけど、これには尊敬の念がある気がする。
もちろん、会話のコンテクストによって違うだろう。言葉にしない時でも上手に日本語を話している外国人に出会うと尊敬の念を持つ。それは、おそらく「日本語を勉強するのは大変なこと」という考えがあり、それを乗り越え日本語を身につけているからという考えがあるからだと自分なりには思っている。
あなたは、日本語を話す外国人に対してどういう気持ちを抱きますか?
中東で生活して思うこと
最近バイラルになっているBBCの動画で、自宅でインタビューを受けている時に子どもが部屋に入ってくるやつがありますね。
2人の子どもが入ってきたあとに子どもたちを連れ出す女性。この女性をみてどう思いました?
僕は悲しいことにパートナー(この方の妻)なのかお手伝いさんなのかわからなかったです。
初めて見たときは「お母さんが子どもたちを捕まえにきた!」と思ったけど、あちこちでシェアされているのを何度も見たとき「ナニー(子どもを面倒見てくれるお手伝いさん)かな?!」と思うようになった。
これはアジア系に見えたからというのがあるでしょう。
これに関連して中東に来て激しく感じるのは、「アジア人はワーカー」という印象だ。
中東のアジア人は家政婦やお手伝いさんから、掃除夫、ブルーワーカーという仕事のほとんどがインド系、アフリカ系、東南アジア系の人々が担っているのだ。
そして、どことなく見下しているような印象を受けてしまう。
日本でもコンビニやサービス業の多くに外国人労働者が多くなったと聞くけど、差別的な言動をしていませんか?
差別的なことを言われたら、あなたはどうしますか?
ついついカッとなって怒ってしまうこともあるかもしれないし、悲しくてしばらく元気が出なくなるかもしれない。
できることなら、何を言われても自分の心は平穏であるといいなぁ、と思うこの頃です。
追記
後日、家族でBBCに出た教授家族。いまいちパートナーの方がなんと言っているのかわからなかったけど、微笑ましくていいね。
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