おはようございます。タカハシイツロー(@takahashi126)です。
前回は開発ワーカーもうやめたという決断についてお話しました。
確かザンビアでの仕事が3年になる頃にそんな決断をしました。
意外にもその気持ちは自分の中で自然と湧いてきて、そしてすんなりと決断できました。
振り返ってみれば、インドで大学院を卒業し、NGOの駐在員を経て、在外公館の委嘱スタッフをやっていた頃も開発協力・国際協力の現場に何らかの違和感を感じていました。
これが僕のやりたいことか?
と。
開発ワーカーを辞めようと思った3つの理由
JICAでジュニア専門員として働き始めたのが2003年4月(もう15年も前だなんて!)。6月頃に最初に行ったインドへの出張でももうこの仕事辞めようかな、、と思うこともありました。
つまり、僕は何かというと「もう辞めよう」と言い出すんです。
そんなもんだったので良く一緒に仕事をさせて頂いたベテラン開発コンサルタントのおじさんにこう言われました。
高橋くん、石の上にも3年だよ
でも、ザンビアにてJICA技術協力プロジェクトに携わった後に感じた「もう辞めよう」感はそれまでのそれとは違った感覚がありました。
もう10年も前の話なのでその時実際にどのように感じていたのかは定かではないのですが、今振り返って思う開発ワーカーをやめようと思った理由は以下の3つに要約されると感じています。
1. Burnout
もうとにかく疲れた。笑
やっぱり国家モデルを作るというのはなかなか骨の折れる仕事でストレスにもなりました。プレッシャーも大きかったし。
1年目はいろいろ悩みました。頑張りすぎた感もあります。苦労もたえず便秘になり、1週間以上もウンコが出ないような状況になり、大人のニキビに悩まされました。おかげで今は痘痕面(あばたづら)です。
年々諦めの気持ちが膨らんで燃え尽きた感じがしました。
これが複数の専門家でチームを組むプロジェクトだったらまた違ったのかもしれません。経験があり、尊敬できる先輩がいたら全く状況は違ったかもしれません。
でも、僕は一人で全てを取り仕切る通称「一人プロジェクト」でたまにあるのは短期の専門家派遣とローカルコンサルタントの支援だけ。
なんか30そこそこの若者にとっていいチャンスではあったのですが、僕は燃え尽きてしまったんです。
2. 憧れと現実
僕はインドの大学院に留学中、学生によるスタディツアーを開催して日本人の学生や旅行者を受け入れるなど同級生や大学を巻き込んで行くつかのイベントしたことがありました。
それもあってか、丁寧に話をして抑えるところを抑えればどうにか進めたい方向に話を進めることができると思っていた気がします。だから、開発事業においても理路整然と相手の関心を抑えた上で話をすればだいたいのことはやりたいように進められる、みたいな考えを持っていたのかもしれません。
以前も書いたようにプロジェクトのデザインをしている時、世界銀行、UNICEF、アイルランド大使館など他の主要ドナー機関を訪れ、プロジェクトのデザインや期待される効果やモデルを適用することの利点などを説明し、結果的にJICAがすすめるSOMAPの維持管理モデルを国家モデルとすることができました。
しかし、プロジェクトが始まってから日当が払われないから会議に来ないという現地政府職員や研修をしても全然エッセンスを身につけられないスタッフと日々接する中でどんどん理想と現実の乖離を実感するようになった気がします。
日当がなければ会議に来ないというなら、来なくていい。
と言ったら、激減した参加者。
でも、プロジェクトが終わった後に効果を持続させるには日当の有る無しに関わらず当該政府職員がするべき仕事をしなければならないわけだから、日当が理由でプロジェクトが失敗するなら失敗してもいいじゃないかと僕は考えていました。
現在は機会費用を負担するという意味においてはむしろ日当は支払われるべきだというのが僕の考えですが、政府職員であくまで自分の部署や役職のマンデーとであれば基本的には日当は支払われなくてもいいと思います。(移動費として実費が生じない場合とランチが提供される場合は特に)
何れにしても、村落地域におけるハンドポンプが故障しても簡単に維持管理できる制度と体制を作るというビジョンでさえ実はあまり共有することができないという現実を垣間見ることで、開発協力事業そのものの現実的な限界を自分なりに感じた気がします。
こういうプロジェクトをどれだけやれば望ましいと思われる制度が定着するのか…
なんかそう思うと憧れと現実の狭間で僕は別の道を選んだほうがいいのではないかと思ったのが正直なところです。
3. 結婚
最後に決定的だったのはちょうどこの頃人生の岐路だったんです。
NGO女子たちのつぶやきさんとか途上国で働く助産師さんなど女性の開発ワーカーの方々のつぶやきを見ていてたまにふと思うのですが、結婚は男性開発ワーカーにとっても仕事や生き方を考える岐路になると思うんです。
当時、日本に帰国する1年ほど前に付き合いだした現在の妻とは結婚を考えていました。考えていたというより、既に二人の中で結婚することになっていました。 というのも、現在の妻と将来の話をしている時、初めてこれから人生を共にすることのできるパートナーと会えたという現実的な実感を得ることができたんです。
二人でこれからの人生を共有した際、見えてきた未来は「妻が働いて、僕が主夫をする」という生活や、それに固執せずとも二人でそれなりにやっていけるという実感を得ることができたのです。
そう実感した瞬間、一つの仕事に固執しなくても行く場所、住む場所、自分の興味・関心や技術・経験でできることをやって食べていくという生き方に価値を見出した気がします。
もともと僕は高校生の頃から主夫になりたかったんです。今では笑い話にもなりませんけど、僕は家で子育てをしながら無添加食材や有機野菜を使って美味しい食事を作ってのんびりした生活を夢見ていたんですよね。笑
だから、ザンビアでの仕事経験を踏まえ「開発ワーカーて続けられないかも」と思った時、現在の妻が当時持っていた働いてキャリアアップしたいという考えについては大賛成でした。
妻がメインで働いて僕は食いっぱぐれないような仕事をちょびちょびする。そんなイメージを持って社会福祉士になるべく通信教育で大学に通い始めたんです。
実際、ソーシャルワーカーとして日本の現場で働くことには魅力を感じていましたし、日本でのソーシャルワーカーの経験と貧困国での開発事業経験をうまく融合させることができれば僕なりのできることもできるかも!?という淡い期待も持っていました。
今思うとそのような理由が積み重なって「開発ワーカーはもう辞めよう」に繋がった気がします。
辞めようというか、開発ワーカーに固執しなくてもやりたいことをやりたいようにやればいいや、と肩の力が抜けたのかもしれません。
では、なぜ今も開発ワーカーやっているの?というお話はまた次回。
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