おはようございます。いつろー(@takahashi126)です。
今朝、寒くて布団から出たくなくてモゾモゾしていた時にふと思った。
言霊って何か力があるのかも?!
上智で英語勉強する
小学生の時、NHKの教育テレビを見ていたらなぜか英語のテレビ講座が始まった。
英語が言葉だとは認識していたと思うけど、いまいち何なのかわかっていなかった気がする。
講師をしていたのは上智大学の先生だった。
父に訊いた。
上智大学ってすごいの?
凄いねぇ。頑張って入ってくれ。
というようなことを言われたと思う。
その時、こう思った。上智大学に行って英語を勉強するぞ、と。
結果として上智大学にも行っていないけど、別の大学の国際経済学科で英語に触れて日本を飛び出すことを考えていた気がする。
自分の中では、小学生の時に英語に興味を持ち、日本の外の世界に憧憬を抱いたからこそ今の僕がある気がする。
国連で働く
先日母がこんなことを言っていた。
あなたは国連で働くって言っていたから、働けるようになってよかったね。
インドに留学をしようと決めた頃か、NGOで働き始めた時か、いつのことだか全然僕は覚えていないし、そんなこと言ったことさえちゃんと覚えていない。
自分の中では親を安心させるために出てきた言葉かもしれないとも思うくらいだ。
でも、結果として、様々な経験をしたのちに国連で働いている。
振り返ってみると、意識もせず発した言葉でも何か力が宿っているのかもしれないと感じた。
主夫になる
高校生の頃からかよく言っていた。
働きたくない、髪結いの亭主になる、主夫になる
結果として主夫を2年間することができた。
思ったほどの成果もなかったし、自分の思い描いていた主夫像と現実にはいろんな違いがあった。
結果として、主夫としては失格と言っていいほどだったけど、言い続けたことですることができた。
いまいちいい主夫とは言えなかったけど、僕にとって長男と濃密な時間を過ごせたのは何事にも代え難い貴重な時間だと言える。
今でも日々父親になるために試行錯誤をしているけど、主夫の2年間がなかったらもっとどうしようもない父親になっていたんじゃなかろうか。
なんでも言葉にしてみるものだ。
まとめ
いろいろ書いてみたけども、結局のところ、「言霊かも?!」なんて思うのは自分勝手に過去を振り返って、自分勝手につじつま合わせをしているだけに過ぎないと思う。
事実としての過去の出来事ではなく記憶の中の過去の出来事は、知らないうちに色は塗り替えられ記憶というデータも書き換えられているんだと思うから。
それでも言葉には何か力があると思っているのは、言葉で気持ちを伝え、言葉で記憶を紡ぎ、言葉で世界と触れ合うからだ。
共感できる時には言葉が共鳴しあっている。
何かハーモニーを奏でているように。
一人一人が自分の言葉を発することで、世界は豊かになり、理想が現実のものになると信じたい。
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