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移動中の車の中で考えた僕に足りないものと本との出会い

おはようございます。いつろー(@takahashi126)です。

 

最近よく思うんです。

インプットしてばかりじゃダメだ。

考えてばかりでもダメだ。

言葉にして形にしなければダメだ。

って。

 

言葉にする形にするってことは表現するということで、それはつまりアートなんじゃないかと思ったわけです。

 

僕の好きな夏目漱石の草枕という小説はこんな感じで始まります。

山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 

なんかこの感じ、日々ツイッターでも垣間見ている感じがします。

とにかく、人の世は住みにくい。

住みにくいならどうすればいいか?

 

住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生れて、絵ができる。

人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三件両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。

あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 

日本を離れて海外に行くと日本と違って住みやすさを感じることもある。

同時に日本に帰ると心地よさを感じるものだ。

 

ただ、まさにそんな住みにくい世界を作っているのは他の誰でもない人なわけだ。

日本を住みにくくしているのは日本人だし、世界を住みにくくしているのは人間なわけだ。

そんな世界を離れようとしても、人でない何かが作った場所が住みやすいとは思えない。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、寛容て(くつろげて)、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。

ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。

あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。

そして、だからこそ芸術というものが尊い。これ、激しく共感。

そして、僕の解釈としては、芸術とは決して詩や絵画だけではなく、様々な表現のあり方が芸術だと思う。

 

それは愛知トリエンナーレのいろいろを垣間見ていてもそんな気がする。

社会の不条理、誰かの権利を表現するのも芸術。

言葉を並べ立てるだけでは伝わらないかもしれない想いを伝えるのも芸術。

 

また、直接的な表現では伝わらない考えをユーモアを交えて発信することも芸術といっていいんじゃないかとさえ思う。

そういろいろ考えた後でふと思った。

僕に足りないのはこの芸術的な視点でありテクニックであり表現力なんじゃないか、と。

これからしばらくその点についていろいろ考えたい。

 

住みにくさのある環境を変えていく上でとても参考になる本にも出会った。

 

みんなの「わがまま」入門芝園団地に住んでいますという本。

 

社会との関わり方、社会をより良くしていく上での接し方などにおいて非常に参考になったのでまた別の機会に考えを整理したいと思います。

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